●パーソンズと職業指導運動
職業の選択
カウンセリングの考え方は、20世紀の初めにアメリカで生まれたといわれている。その先駆けとなった運動は、ボストンに在住したフランク・パーソンズの職業指導運動である。彼は1909年に『職業の選択』を著し、職業指導においては、自己の理解、職業の理解、およびその両者の統合が必要であると述べた。すなわち、自分に適した職業を選ぶためには、まず、自分のどのような能力をもち、どのような興味をもち、そして何になりたいのかを知らなければならない。また、それを実現しうる職業が現実にあるのかどうかを知らなければならない。そのためには、職業世界について正しい認識をもつことが必要である。すなわち、どのような職業にはどのような知識や技能が必要なのかを知らなければならない。それらの知識をもとにして、さらに自分の能力、適正と、求める職業との適合性を追求しなければならない。その適合性を求めるのに、カウンセラーは、クライエント(来談者)と共に集めた資料を駆使して、適切な助言を与える必要があると考えられた。
適合性
このような適合性の考え方は、現在考えてもごく普通の考え方である。孫子の兵法に「彼を知り己を知らば、百戦してあやうからず」とあるが、何事も、まず自分の立場や置かれている状況を理解し、相手の様子を把握してからことにあたらなければならない。現在の状況でいえば、進路選択で、学校を選ぶのにも、職業を選ぶのにも、結婚相手を選ぶのにも、転職先を求めるのにもこのような考え方は基本となるものである。
●ビネーと精神測定運動
知能テストと数量化
人間の精神的な能力や特性を数量的に示すことができるという考えのもとに、さまざまな測定方法が考案された。その先駆けとなったのは、フランスでアルフレッド・ビネーが1905年に考案した知能テストである。ビネーはテストの問題をやさしいものから難しいものへと配列し、それらの問題のどこまでできたかを年齢に換算して、それを精神年齢として表した(1908年)。
このような考え方によって、人間の精神的な資質は数量化できると考えられるようになり、知能に限らず、性格や適性、職業興味や価値観といった多くの測るものが測定されるようになった。各種検査の資料に基づいてカウンセリングを行うためには、クライエントの精神機能や心理状態を客観的に示す資料が必要である。パーソンズの時代にはまだこのような測定の道具は十分開発されていなかった。しかしその後、知能であろうと性格であろうと、不安状態であろうと精神病的状態であろうと、それらを測定するための道具が多数開発され、必要に応じて使われるようになった。
客観的資料の活用
カウンセリングにおいて、精神測定を行うかどうかは、カウンセラーの考え方によって大きく異なる。例えば、行動主義の立場に立って行動療法や認知行動的カウンセリングを行っている人たちは、クライエントの心理的状態を示す際に客観的資料を重視する。測定や数量化はいわば必須のものであっている。進路相談においても一般に客観的資料はかなり重視される。
一方、カウンセリングにおいて、もっぱらクライエントとの関係性を重視し、クライエントの主観の世界を理解する人たちは、あまり客観的資料を用いることはしない。それは、クライエントの主観の世界を理解することを重要であると考えるからである。
●ピアーズと精神衛生運動
1冊の本
市井の人であったクリフォード・ピアーズは、精神疾患に陥り、繰り返し精神病院に入院した自己の体験に基づいて、1908年に「わが魂にあうまで」を著した。この本は、当時の精神医学界の第一人者アドルフ・マイヤーや心理学界の重鎮ウィリアム・ジェームズの推奨するところとなり、ベストセラーとなった。精神疾患や精神病院の実態について訴えたピアーズの運動は、精神衛生運動と呼ばれ、またたくうちに全米に広がった。
フロイトの講演
精神分析を創始したジクムント・フロイトは、1909年にアメリカ講演旅行を行い、初めて深層心理学について紹介した。このことは、精神衛生運動にも少なからぬ影響を与えたといわれている。第1次世界大戦の勃発とともに、精神衛生運動は戦場で精神障害をきたした兵士への関心を喚起した。健常な人でも、戦争などの強度のストレスによって精神に異常をきたすことが明らかにされたのである。各州には在郷軍人病院が設置され、それらの施設で精神疾患の治療法が研究され、カウンセラーの養成や訓練が行われるようになった。
カウンセリングの必要性
精神衛生運動を基盤にして、健常な人の悩みに対するカウンセリングの必要性が次第に認識されるようになったと考えられる。また、精神障害者や健常者の不適応症状を理解する上で、深層心理学がもたらした功績は大きい。現在においても、生育歴を重視し、過去のありようを考題にする考え方は依然として有力である。
人の職業指導運動、精神測定運動、および精神衛生運動の3つを基盤として、アメリカにおけるカウンセリングは1940年頃から本格的に始動する。
●スプートニク・ショックと学校カウンセリング
国家防衛教育法
第2次世界大戦の後、アメリカではカウンセリングが学校におけるガイダンス・サービスでもっとも重要なものとなり、ロジャーズの理論が注目を集めるようになった。1957年のソヴィエト(ロシア)による人工衛星スプートニクの打ち上げは、科学技術の立ち後れを示すものであってアメリカに大きなショックを与えた。翌1958年に国家防衛教育法(NDEA)を制定し、優秀な人材を発掘するために学校カウンセラーを養成し、中等学校にカウンセラーを配置することにした。その後、小学校にもカウンセラーを設置することとしている(表1-1)。
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表1-1 アメリカにおけるカウンセリングの歴史
年 事 象
1908 パーソンズ、ボストンに職業相談所を開設。ピアーズ、『わが魂にあうまで』を出版。
1909 フロイト、コンウとともにアメリカで講演。
1917 ターマン、集団式知能検査を開発し兵士の選別に適用。
1924 州ごとにガイダンス・カウンセラーの資格認定始まる。
1932 ウィリアムソン、『学生相談』を出版。
1942 ロジャーズ、『カウンセリングと心理療法』を出版。
1958 国家防衛教育法(NDEA)によりカウンセラー養成が本格化。
1964 NDEAを改正し、小学校にもカウンセラーを配置。
1985 関連学会をアメリカカウンセリング・発達学会(AACD)として統合。
1993 AACDをアメリカカウンセリング学会(ACA)に改称。
Baker(1992)より抜粋
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