「どうせ私なんて」。
気づけば、心のなかで、あるいは口に出して、そんなふうにつぶやいていること、ありませんか。
なにか誘われても「どうせ私なんて、誘われても迷惑かも」。
うまくいったときでさえ「どうせ私なんて、たまたまだよ」。
まるで口ぐせのように、その言葉が先に出てきてしまう。今日は、そんなふうに自分をちいさく見てしまう心に、そっと寄り添ってみたいと思います。
その言葉は、あなたを守ろうとしているのかもしれません
「どうせ私なんて」という言葉、一見すると、自分を下げているように聞こえますよね。
でも、少し見方を変えてみると、この言葉はあなたのことを、けなげに守ろうとしているのかもしれません。
たとえば、先に「どうせ私なんて」と言っておけば、うまくいかなかったときに、それほど傷つかずにすみます。期待して、がっかりして、痛い思いをする——そんなことから、心が自分を守るために、そっと用意した”クッション”のようなもの。
だから、この口ぐせを「だめなクセ」だと責めなくても大丈夫です。あなたの心は、これまで一生けんめい、あなたを痛みから守ろうとしてきた。そう思うと、少しだけ、いとおしく感じられませんか。
いつのまにか、身についた「まえがき」
「どうせ私なんて」は、生まれたときからあった言葉ではありません。
生きてきたなかで、だれかにかけられた言葉や、うまくいかなかった経験。そんなものが少しずつ積み重なって、いつのまにか、自分にかける「まえがき」になっていったのかもしれません。
つまり、それは”ほんとうのあなた”そのものではなく、あとから身についた「クセ」なんですね。
クセなら、すぐに消そうとしなくても、少しずつ、ゆるめていくことができます。
たとえば、「どうせ私なんて」と心に浮かんだとき。それを無理に打ち消すのではなく、こんなふうに、そっと付け足してみるのはどうでしょう。
「どうせ私なんて……って、思っちゃったな」
ただ、気づくだけ。責めるのではなく、「あ、また出てきたね」と、やさしく声をかけるように。
気づけたということは、もうその言葉と、あなたのあいだに、ほんの少しすきまができているということなんです。
ちいさな「できた」を、拾い集めて
「どうせ私なんて」という声が大きいときは、うまくいったことよりも、できなかったことのほうが、目に入りやすくなっています。
だからこそ、ほんのちいさなことでいいので、一日の終わりに「できたこと」を拾ってみてください。
朝、ちゃんと起きられた。
ごはんを食べた。
だれかに「ありがとう」と言えた。
「そんなの、あたりまえじゃない」と思うかもしれません。でも、そのあたりまえを、あなたはちゃんと積み重ねているんです。
大きな成果でなくていい。ちいさな「できた」を拾い集めていくと、「どうせ私なんて」の声のとなりに、少しずつ、べつの声が育っていきます。
「わたし、けっこう、がんばってるかも」
その声は、はじめは小さくて、頼りないかもしれません。でも、あなたが拾ってあげるたびに、その声は少しずつ、あたたかくなっていきます。
おわりに
「どうせ私なんて」——その言葉が口ぐせになっているのは、あなたがだめだからではありません。それだけ、心があなたを守ろうとしてきた、その証なのだと思います。
だから、すぐに手放せなくても大丈夫。まずは、その言葉が出てきたことに、そっと気づいてあげてください。そして、ちいさな「できた」を、ひとつずつ拾ってあげてください。
あなたは、「どうせ」なんかじゃありません。今日ここまで、ちゃんと生きてきた、たしかな存在です。
あなたはあなたのままで、じゅうぶんに、いいのですから。
きょうも、そんなあなたに、そっと光がとどきますように。
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