「ランチ、どこにする?」
「うーん、どっちでもいいよ」
友だちや家族との会話で、こんなふうに答えることが多いなあ……と、ふと気づいたことはありませんか。
相手に合わせてあげているつもりが、いつの間にか「自分が本当は何をしたいのか」が、うっすらと分からなくなってしまう。そんな心のクセに、そっと寄り添ってみるおはなしです。
「どっちでもいい」の奥に、かくれているもの
「どっちでもいい」という言葉は、やさしさから生まれることがとても多いんです。
相手が喜ぶほうを選びたい。場の空気を、なめらかに保ちたい。もめごとになるくらいなら、自分が引いたほうがいい。——そんな思いやりが、この一言の奥にはそっと隠れています。
でも、それをずっと続けていると、心のなかの「好き」や「したい」のセンサーが、だんだん静かになっていくことがあります。使わない筋肉がやわらかくなっていくように、「自分の気持ちを感じる力」も、ちょっとお休みモードになっていくんですね。
だから、もし今「自分が何を望んでいるのか、よく分からない」と感じていても、大丈夫。それはあなたが冷たいわけでも、感受性がないわけでもありません。長いあいだ、まわりを大切にしてきた証(あかし)のようなものなのです。
ちいさな「こっちがいい」から、はじめてみる
眠っていたセンサーは、また少しずつ目を覚ましてくれます。急がなくて大丈夫。まずは、とても小さなことから始めてみましょう。
たとえば、コンビニで飲みものを選ぶとき。「なんとなくいつものやつ」ではなく、「今日はどれを飲みたいかな?」と、ほんの数秒、自分に聞いてみる。
温かいお茶がいいのか、甘いものがほしいのか。ちょっと立ちどまって、心に耳をすませてみます。そこで感じた「こっちがいいな」は、どんなに小さくても、まぎれもないあなたの声です。
正解も不正解もありません。選んだあとで「やっぱりちがったかも」と思ってもいいんです。それもまた、自分の好みを知るための、大切なひとかけらになります。
こうしたちいさな「こっちがいい」を、日常のなかで少しずつ拾っていくうちに、眠っていたセンサーは、だんだんと感度を取りもどしていきます。
「好き」を感じるって、心のごちそう
自分の「好き」を感じられるようになると、毎日にほんのり彩りが戻ってきます。
同じお散歩でも、「わたし、この道の木もれ日が好きだな」と気づけると、それだけで心がふわっとゆるみます。同じ食事でも、「これ、おいしいな」と味わえると、からだの奥まであたたかくなる気がします。
「好き」を感じることは、いわば心のごちそうです。誰かのためではなく、自分のためだけに味わえる、ささやかで贅沢な時間。
そして不思議なことに、自分の気持ちを大切にできるようになると、まわりの人にも、もっと自然にやさしくできるようになっていきます。自分をないがしろにしてがまんするやさしさより、心が満たされたうえで差し出すやさしさのほうが、じんわりと長つづきするからです。
もし手のひらのぬくもりが心地よい方は、胸のあたりにそっと手を当てて、「今日、わたしは何を感じているかな」と静かに問いかけてみるのもおすすめです。答えを急がなくていい。ただ、自分の心のほうを向いてあげる時間そのものが、あなたへのやさしい贈りものになります。
おわりに
「どっちでもいい」は、あなたのやさしさが積み重なってできた言葉。だからこそ、ときどきは、そのやさしさを自分自身にも向けてあげてくださいね。
大きな決断でなくて大丈夫。飲みもの一つ、道の選び方一つから、「わたしはこっちがいいな」を、そっと拾い集めていきましょう。
急がなくていいし、うまくできなくてもいい。あなたはあなたのままで、じゅうぶんすてきです。
今日のあなたの心は、何を「いいな」と感じているでしょう。ゆっくり、耳をすませてみてくださいね。
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