スマートフォンをそっと開いたとき。だれかの楽しそうな笑顔や、キラキラした毎日が目に飛びこんできて、ふと胸のあたりがきゅっとなったこと、ありませんか。
「それにくらべて、わたしは……」
そんなふうに、いつのまにか自分とだれかをならべて、ため息をついてしまう。もしあなたがそんな夜を過ごしているのなら、今日はほんの少し、肩の力をぬいて読んでもらえたらうれしいです。
くらべてしまうのは、あなたが悪いからじゃない
まず、いちばんにお伝えしたいこと。人と自分をくらべてしまうのは、あなたの心が弱いからでも、性格がひねくれているからでもありません。
だれかと自分をくらべる気持ちは、実はとても自然なもの。「もっとよくなりたい」「がんばりたい」という前向きな願いの、うらがえしでもあるのです。だからこそ、まぶしく見えるだれかに、心が反応してしまう。それはあなたが、まっすぐに生きようとしている証でもあります。
ただ、くらべる相手がいつも「自分より上に見える人」ばかりだと、心はだんだん疲れてしまいますよね。そして、見えているのはたいてい、相手の「いちばんいい部分」だけ。その裏にある努力や涙、うまくいかなかった日々までは、なかなか見えないものです。
“となりの芝生”は、青く見えるようにできている
昔から「となりの芝生は青く見える」という言葉があります。自分の庭よりも、よそのお庭のほうが、なぜだかいつも青々として見える。不思議ですよね。
でもそれは、遠くにあるものほど、あらが見えずにきれいに映るから。近くにある自分の毎日は、こまかいところまで見えてしまうぶん、どうしても「足りないところ」ばかりが目についてしまうのです。
だから、もし今あなたが「あの人はいいなあ」と感じているなら、こう思い出してみてください。あなたの庭にも、だれかがそっとうらやむ花が、きっと咲いています。あなたにとっては「あたりまえ」になっているやさしさや、ていねいさや、まじめさ。それは、ほかのだれかにとっては、まぶしく映る宝物かもしれません。
「くらべる矢印」を、そっと自分に向けてみる
とはいえ、「くらべないようにしよう」と思っても、心はなかなか思いどおりにはなりませんよね。無理に打ち消そうとすると、かえって苦しくなってしまうこともあります。
そんなときは、くらべる「矢印の向き」を、少しだけ変えてみるのはどうでしょう。
だれかと自分をくらべるのではなく、「きのうの自分」と「きょうの自分」をならべてみる。ほんの小さなことでいいのです。「きのうより少し早く起きられた」「あのとき、ちゃんと自分の気持ちを言えた」。そんなささやかな一歩を、そっと見つけてあげる。
そしてもうひとつ。もし、まぶしく感じる人がいたら、そのまぶしさの中に「わたしが本当にほしいもの」が隠れていることがあります。「あの人の自由さがうらやましい」と感じるなら、あなたの心も、もう少し自由に呼吸したいのかもしれません。くらべる気持ちは、あなた自身の願いを教えてくれる、やさしい道しるべにもなるのです。
おわりに
人と自分をくらべてしまう夜があっても、それはあなたが一生けんめい生きているからこそ。どうか、そんな自分を責めないであげてくださいね。
見えている一部だけで、あなたのすべてがはかられることはありません。あなたには、あなただけのペースと、あなただけの季節があります。
となりの芝生がどんなに青くても、あなたの庭に咲く花は、あなたにしか育てられない、たったひとつの花です。
あなたは、あなたのままでいい。今日も、そのままのあなたで、ゆっくり深呼吸してみてくださいね。
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